サンアントニオ・スパーズは、NBA史上最大の王朝の一つに成長しました。
1998年から2019年まで、なんと22年連続でプレーオフに進出しています。 そしてその間に、5回の優勝を果たしました。
そのうちの4回の優勝は、すでに全員が殿堂入りを果たしている、あの象徴的なビッグスリーがチームを牽引していました。 ティム・ダンカン、トニー・パーカー、そしてマヌ・ジノビリの3人です。
スパーズの歴史が変わっていたかもしれない瞬間
しかし、スパーズの信じられないような22年間の黄金期の中で、チームの姿が全く変わってしまうような大きな変化が起きそうになった瞬間がいくつかありました。
多くのスパーズファンが知っているのは、ティム・ダンカンがフリーエージェントで移籍しそうになった時のことでしょう。 オーランド・マジックと契約し、グラント・ヒルやトレイシー・マグレディとチームを組む寸前だったというあの有名なエピソードです。
ですが2003年、スパーズはトニー・パーカーの起用を打ち切り、当時リーグ最高のポイントガードと言われていたジェイソン・キッドを獲得しようとしていたのです。
しかし、キッドは忠誠心からネッツに残ることを決断しました。
キッドはポッドキャスト番組『All The Smoke』に出演した際、当時をこう振り返っています。
「『スパーズに行く』って感じだったんだ。 ただ一つ引っかかったのは、俺たちを倒したばかりのお前らが、チャンピオンリングを受け取るのを座って見てなきゃいけないってことだった。
まあ、それは些細なことだし、1試合だけの我慢だから乗り越えられる。 もっと勝つチャンスもあるしね。 でも、ニュージャージーで俺たちが築き上げてきたものへの忠誠心があったんだよ。
『俺たちならもっと上に行けるはずだ』って思っていたんだ。
でも、その背後で動いていたビジネスの側面を俺は知らなかった。 翌年にはチームがK-マート(ケニオン・マーティン)をトレードに出し始めたからね。 そこからチームはあっという間に崩壊していったよ。 俺がスパーズの選手になるまで、本当にあと一歩のところだったんだ」
終わり良ければすべて良し?
結局、パーカーはその後もスパーズの主力を担い続けることになりました。
そしてチームは2003年にキッドを追い求めた後、さらに3つのタイトル(2005年、2007年、2014年)を獲得することになります。
一方のキッドは、ネッツが2008年にチームの再建へと舵を切った後、2011年にダラス・マーベリックスでついに優勝を果たしました。
もしキッドがスパーズと契約していれば、もっと多くのタイトルを獲得していたかもしれません。
しかし、彼も最終的にはリングを一つ手にしました。 この件に関しては、「終わり良ければすべて良し」といったところでしょうか。
引用元:CLUTCHPOINTS
引用画像:San Antonio Spurs Photo Galleries
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