スパーズは22年連続プレーオフに進出しており育成補強も優秀で、長年強豪としての地位を確立しています。
今年のオフも有能な若手をキープしつつ、適材適所の補強を進めています。
これも優秀なフロントの仕事が光っています。
しかしどんな優秀なフロントがいても、時には補強を失敗することもあります。
スパーズも例外ではありません。
史上最悪のトレードと言われているトレードがあります。
それはリチャード・ジェファーソン(以下RJ)とのトレードです
10年以上スパーズファンである方ならわかる方も多いと思います。
今でも
【悪夢】
として捉えている方がほとんどでしょう。
今回は RJ のトレードについてまとめました。
当時のトレード内容
スパーズへ
リチャード・ジェファーソン
バックスへ
ブルース・ボウエン
カート・トーマス
ピストンズへ
ファブリシオ・オベルト
アミール・ジョンソン
当時のGMのRCビュフォードは、RJが得点力とともに若さと健康をもたらすと述べました。
スパーズでの最高のシーズンは2009-10年で、平均12.3ポイント、4.4リバウンドを記録しました。
トレードのきっかけ
2009年当時のスパーズはキャリアの晩年だったブルース・ボウエンとファブリシオ・オベルト、ブレント・バリー、マイケル・フィンリー、特にマヌ・ジノビリの延長契約の保証がなかったため、ロスターの再構成が必要でした。
そこでRJに白羽の矢を立てました。
RJは当時29歳でトップSFの1人でした。
ネッツ時代でキッド、カーター、RJのビッグ3を形成して、プレーオフの常連チームでした。
▼ ネッツ時代は理想のSFでした。
スパーズを再び若返らせるために必要な運動量、リムのフィニッシュ力のあるウイングでした。若さと活力をもたらそうとしました。
今の時代でいうと、ハリソン・バーンズをさらにアスレチックにしたような選手でした。
ポポビッチはこのトレードとデジュアン・ブレアのドラフトピックに非常に興奮していたので、「勝てなければ私はクビになるべきだ」と述べました。
ブレアはシーズン序盤から素晴らしいデビューを果たしたので、素晴らしいものになるように見えました。
2009~10シーズン(1年目)
RJにとって最初の1年は、リムへのペネトレイトは問題ではありませんでした。
彼のオフェンスのほぼ3分の1がリム周辺で行われ、フィールドゴール成功率は51%を記録しました。
スパーズ時代のRJを振り返ってみると、スパーズにきた瞬間に爆発性を失ったように感じますが、実際そうではなかったことがわかりました。
RJは2009-10年にスパーズで65回のダンクを記録しました。
参考までに、レナードは最高で64回ダンクをしました。2004-05年のジノビリの最高記録は22でした。
彼のペネトレイト、リバウンドとプレイメイキングは十分貢献できていました。
しかし3ポイント成功率が31.6%に落ち込みました。
彼はスパーズのシステムを理解するのに何ヶ月もかかって、しばしば見失われたように見え、ディフェンスについて混乱していました。
スパーズはジノビリとダンカンは健康でしたが、50-32で7番シードでプレーオフに出場。ファーストラウンドでマーベリックスを破ったが、準決勝でサンズにスイープされました。
プレーオフではさらに悪い点が強調されました。
ポポビッチはジノビリ、パーカー、ジョージヒルの3ガードラインナップのスモールラインナップで起用しました。マブス相手に機能して効果的になっていました。
しかしRJは、彼がコーナーにいるはずのハーフコートセットの間に3Pラインの内側に移動し、攻撃のスペースを台無しにしました。
レギュラーシーズンの13.1 PER(≒ハリソンバーンズ)を記録した後、プレーオフで10.9 PERを記録しました。
2010~11シーズン (2年目)
スパーズはRJ延長契約しました。
RJと3Pの改善に取り組むように伝え、チームとして機能させることを決意しました。
次のシーズンはRJは、3P成功率44%を獲得しました。
しかし、彼は他のすべての分野でさらに悪化しました。シュート数は増えましたが、平均フリースロー、リバウンド、アシストを減らし、すべてでキャリアが低下します。
スパーズはオフェンシブなシステムに変更を遂げており、より多くのペースとスペースを広げてガード中心のオフェンスにシフトしましたが、RJは適応できませんでした。
スパーズはシーズン1位で通過しましたが、グリズリーズにアップセットをくらいました。
ダンカンやジノビリの怪我もありましたが、それ以上にRJはひどい出来でした。
平均6.5ポイントと大ブレーキ。1番の戦犯として批判されました。
▼ メンフィスの悪夢
Phantom: Grizzlies Knock Out Spurs in Game 6
この結果はポップが重視する第一の要件に違反していました。
彼は競争しませんでした。
スパーズは特にプレーオフ時期になると、その緊張感と強靭さで有名でした。
RJはその正反対てま精神的に強くありませんでした。スポットライトが明るいほど、活躍できなかった。
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割引コード:PBY4-R1
2011~12シーズン (3年目)
この時点で契約したのは失敗と確定したことは明らかでした。
スパーズはそのオフのドラフトでウイングを見つけることに奔走し、Gヒルを犠牲にして当時ペイサーズが15位指名したレナードを獲得しました。
それでも経験がまだ浅いレナードをラインナップで起用するにはリスクがあり、ダニー・グリーンもその時まだ多くの信頼を得てなかったのでRJはカットしませんでした。
RJはまだ「安定したベテラン」でしたが、このシーズンではバスケットにペネトレイトを完全に放棄しました。
41試合で3回のダンクで、なんと7.8%しかリム周辺でシュートをしませんでした。
スパーズには才能がたくさんあり、若手(レナード、ブレア,ニール,ミルズ、ダニーなど)とベテランのバランスがよいロスターでしたが、それでもシーズン中は中ずっと攻守のバランスが悪く焦点が合っていませんでした。
シーズン途中にボリス・ディアウをバイアウトで獲得したことで、スパーズは踏ん切りがつきました。
RJは2012年の第1ラウンドピックと共にスティーブン・ジャクソンと引き換えにウォリアーズへトレードされました。
皮肉なことに移籍後は22-3に進み、 セミファイナルでサンダーに敗れはしましたが 、10回プレーオフゲームに勝ちました。
特に精神的にタフなジャクソンはプレーオフで力を発揮しました。
スパーズ時代のRJは多くの人が望んだ方法でうまくいかず、このトレードは大失敗だと今でも言われています。
RJは2009-12年にスパーズでプレーしましたが、その間大きな印象を残すのに十分ではありませんでした。
インタビューでRJは、ティムダンカンが再びプレイしたくない人間だろうね。と冗談を言った。
▼ こういうところでしょうね…
Duncan Pushes Jefferson Then Stares Him Down
プレーオフの試合ですが、緊張感が足りないというか…相当いろいろあったのでしょうね。
しかし結果的にはトレードでレナードを手に入れて、ダニー・グリーンも成長して2014にリングを手に入れているので、一概に悪いとも言えない気もします。
まあこういうこともありましたが、他のチームと比べると少ないです。
コンスタントに結果を残しているスパーズは優秀です。これからも応援します!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
引用画像:Flickr / Keith Allison
参考情報:https://news4sanantonio.com/sports/spurs-zone/former-spur-richard-jefferson-calls-san-antonio-a-dump
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