リラード「もしオルドリッジがPORへ残留していたら優勝できた」

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2012年から2015年にかけて、デイミアン・リラードとラマーカス・オルドリッジはポートランド・トレイルブレイザーズの看板選手として活躍しました。この二人は、わずか3シーズンでNBAの強力なデュオとなりました。

リラードは1年目でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、オルドリッジは5年連続でオールスターに選ばれる初期段階にいました。ブレイザーズはその年、33勝49敗でプレーオフ進出を逃しましたが、次の2シーズンで大きく成長します。

2013-2014シーズン、ブレイザーズは54勝28敗と躍進し、プレーオフに進出しましたが、西カンファレンスのセミファイナルで優勝を目指すサンアントニオ・スパーズにスウィープで敗れてしまいました。

ポッドキャスト「Club 520」のシーズン2、エピソード93で、ジェフ・ティーグとDJウェルズがリラードのキャリアについて話しました。

「Dame Time」やポール・ジョージ相手の“あのショット”、ヤニス・アデトクンボとのプレー、ラッセル・ウェストブルックとの対戦、ステフィン・カリーとのバトル、そしてNBA歴代トップ75に選ばれたことなどが語られました。

17:30の時点で、リラードはこう語っています。

「彼(オルドリッジ)がサンアントニオに行かなかったら、俺たちは少なくとも一度は優勝していただろうね。俺も自分の力を発揮できるようになってたけど、彼はそれだけ凄かった」。

オルドリッジとSASの時間

2015年夏、オルドリッジはトップフリーエージェントの一人でした。テキサスとの繋がりや家族のことを考え、彼は1年前にNBAタイトルを獲得したサンアントニオ・スパーズを選びました。

オルドリッジは、引退を考えていたティム・ダンカンの後継者として自然な選択肢に思えました。

カワイ・レナードと共に、新しいビッグ3を築く可能性があったのです。レナードは当時、DPOY(最優秀守備選手賞)やファイナルMVPを受賞していました。

リラードにとって、それは「実現しなかった可能性」に過ぎません。

スパーズにとっても、「うまくいかなかった」。これはオルドリッジのせいではなく、レナードが四頭筋の負傷でプレータイムが制限された上、その後のドラマが彼のスパーズでの時間を短くしてしまったからです。

引用元:Pounding The Rock

引用画像:San Antonio Spurs Photo Galleries

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