パトリック・ビバリーが気になる。

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スイープ予想を覆しウォリアーズから2勝をもぎ取った

クリッパーズ.

その立役者の1人であるパトリックビバリーは闘志むき出しで全力で向かった.

90年代のNBAを思い出させるような,しぶとくて泥臭くて大好きな選手です.

 

 

 

皆様にも知って頂きたいので、

 

今までのプロセスをまとめてみました。

 

 

 

 

 

目次

高校時代

ビバリーはシカゴの彼の故郷でジョンマーシャルメトロポリタン高校に通った。ジョンマーシャルの3年生として、彼はスコアリング(37.3 ppg)で州の最優秀プレイヤーに選ばれました。彼はまた、2006年4月8日にシカゴのユナイテッドセンターで行われた全国的なオールスターゲームであるRoundball Classicにも参加する.ドキュメンタリー映画 『Hoop Reality』に出演している

 大学時代

2006 – 2007年のアーカンソー大学に 入学.ビバリーは1ゲームあたり13.9ポイント、4.5リバウンド、3.1アシストと1.7スティールを平均した。彼が所属するサウスイースタンカンファレンス(SEC)の All-Freshman TeamとAll-SEC2nd teamのに選ばれた.

2007 – 08年の2年生として、スター候補生として注目された。彼は2年生として35ゲーム中33ゲームをスタートし、リバウンド(6.6 rpg)、スチール(1.3 spg)、そして3ポイント(37%)でチームのトップの成績を残す。またチームで2位(12.1 ppg)、3位でアシスト(2.4 apg)を記録した

2008年8月には、学力不足のため、ビバリーは2008年から2009年にかけて賞レースに参加する資格を失った。

下積み時代(2008~12)

1年間学校を離れて滞在するか、給料を稼ぐか、ビバリーは後者を選んだ。2008年10月に、彼はウクライナのドニプロと 1年契約にサイン。

リーグのスラムダンクコンテストで優勝した。ドニプロの46ゲームで平均16.7ポイント、7.0リバウンド、3.6アシスト、2.2スティール、1.3ブロックを記録した。

 

その後2009年NBAドラフトでレイカーズに2巡目42位指名された。ドラフトの翌日に2011年の第2ラウンドのドラフトピックと現金と引き換えにヒートへトレードされる。

 

 その時はヒートと契約せず、ギリシャのオリンピアコスと契約した。オリンピアコスが2010年、ユーロリーグとギリシャリーグで決勝に進出した。ギリシャリーグでは22試合出場し、4.9ポイント、2.8リバウンド、1.6アシストを記録した。この時のちのチームメイトとなるテオドシッチとプレイしていた。

 

 

2010年7月、NBAサマーリーグにヒートの一員として参加し、プレシーズンゲームに6試合出場したが、レギュラーシーズン直前の10月25日に解雇された。

 

2010年 – 11年シーズンの残りの期間をロシアのスパルタクと契約した。

2012年シーズンに実力を十分に発揮してビバリーはユーロカップMVP選ばれた。彼はシーズンを通してチームをリードし、チーム1番のリバウンド、アシスト、そしてスリーポイントを記録。平均1.9スティールはユーロカップ1位、1.85cmで平均4リバウンドを獲得し、ランキングの中で最も身長が低い選手だった。

 

2012年7月19日スパルタクの延長契約を断り、12月23日ヒューストンロケッツと契約合意した。

 

一部引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Patrick_Beverley

 

 

スタッツ↓

 

 

 

 

ヒューストンロケッツ(2013–2017)

2012〜13シーズン

2013年1月7日ロケッツとの複数年契約に合意し、2013年1月15日にNBAデビュー。

スターターのジェレミー・リンが怪我がちのため、サンダーとのプレーオフ第1ラウンドの第2戦で、初めてスターターに抜てきされた。16ポイント、12リバウンド、6アシスト、2スティール、1ブロックを記録した。その試合でタイムアウト前にウェストブルックに接触し右膝ACLを断裂させてしまう。ダーティなプレイヤーとレッテルを貼られる。ロケッツは6ゲームでシリーズ敗退した。

ここから今まで因縁が続いている…

 

2013〜14シーズン

右手骨折のために14ゲーム欠場し56試合に出場した。2月23日のサンズ戦でキャリアハイの20ポイントを記録。シーズンを通して特にディフェンスでチームに貢献した。マッチアップ相手にしつこくつきまとい、相手をイラ立たせることが得意だった。また小柄ながらフィジカルなプレーも強靭な足腰で負けることはなかった。

オールディフェンシブ2ndチームに選ばれ、ディフェンスで実力を示したシーズンとなった。

2014〜15シーズン

2015年2月14日、 オールスターウィークエンドのスキルチャレンジで優勝した。

NBAカンファレンスファイナルに進出してチームに大きく貢献したが、その年優勝したウォリアーズに敗れた。

 スター選手にも容赦ない.

 

 

2015〜16シーズン

2015年7月9日、BeverleyはRocketsと4年間で2300万ドルの契約を結んだ。タイ・ローソンの控えとして開幕を迎えたが、ローソンの不調もあって先発に復帰。

FG成功率は自己ベスト、3ポイント成功率も40%台に乗せた。プレーオフでまたウォリアーズと対戦。カリーを挑発し、一触即発となる場面があった。ディフェンスがお粗末だがボールハンドリングに優れるハーデンとのコンビは、お互いの欠点をカバーし合って理想的な関係になっていた。

 

2016〜17シーズン

2016年10月22日左膝の関節鏡手術を必要とした後3週間の間欠場した。

PGとしてさらに守備力に磨きをかけ、初めてオールディフェンシブ1 stチーム入りを果たした。1998 – 99 年のピッペン以来の賞だった。またハッスル賞を受賞した。 

サイズ不足マッチアップ相手に食らいついてプレッシャーをかけ続けるタフなスタイルを貫き、ディフェンダーの地位を確立した。

 ジェームズ・ハーデンがPGを務めたためにSGに回っていたが、平均アシストは自己最多の4.2本を記録した。 

2017年4月16日、彼は因縁の相手サンダーとの第1ラウンドのプレーオフシリーズでは激しいバトルを繰り広げたが敗退した。

 

 

ロサンゼルスクリッパーズ(2017年 〜 現在)

2017~18シーズン

2017年6月28日、クリス・ポールとのトレードでクリッパーズに移籍した。トレードはより大きな役割を求めて志願したものだった。平均得点でキャリア最高を記録するなど開幕から好調だったが、11試合目に右ヒザを痛めて残り試合を全休した。

 

2018~19シーズン

開幕前からトレードが続き、入れ替わりの激しいロスターだったが、コート内外のリーダーとしてチームをまとめた。ルーキー3人のメンターとして重要な役割を担った。チーム再建期だったが、予想に反してプレーオフに進出。

ファーストラウンドでウォリアーズと対戦。対戦前の 評価ではスイープの予想が大半だったが、予想を覆してawayで2勝を挙げた。

特にルー&ハレル&ビバリーが輝いたシリーズだった。

GAME3

 

 

GAME5

 

 

 

 

 

こういうところにプロ意識を感じる。。。

 

ディフェンスの特徴

1. 相手選手の肩の前に常にいるため、好きにドリブルさせない

 

2. 重心が低く地面に平行に動く

3. スタンスが大きい。

4. 運動量が豊富で常に動いている

5. ターンからの動きが速い。

6. ファウルギリギリの突っつくようなボディチェックをする。

 

1番相手が嫌がるタイプのディフェンスです。 

 

 

 

KDへのディフェンスもすごいが、これもすごい。

 

yoyoさんのツイートより

 

 

 

 

最後に

ビバリーのディフェンスはハンドチェックがあまりファウルを吹かれなかった時代を思い出します。

00年前半、90年代でよくあったバチバチのディフェンスのやり合いをまた観たくなります。

時代の流れですね〜

 

90年代前半はこれがOKでした.バッドボーイズが有名ですね.

ビルレインビア・ロッドマン・リックマホーンは特にこわい.

ジョーダンはほんとかわいそうでした。。。

 

 

 

それではまた!

 

Twitterやっています↓

 

 

 

トップ画像元:http://nbama.blog.fc2.com/blog-entry-2349.html

 

#NBA
#バスケットボール
#プレーオフ

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