マヌ・ジノビリ殿堂入りスピーチ ~ 日本語訳 ~

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元サンアントニオ・スパーズのレジェンド、マヌ・ジノビリは正式にネイスミス記念バスケットボール殿堂のメンバーとなりました。

ジノビリはバスケットボールを根本的に変えたスキル、最高レベルの成功とチームワークによって導かれた素晴らしいキャリアを過ごしました。

ジノビリはスピーチにて彼がバイアブランカからサンアントニオ、そしてスプリングフィールドに至るまでの道のりを助けてくれた人々に深く感謝の意を述べました。

プレゼンターは盟友ティム・ダンカンが務めました。

スピーチの全編はこちらから。

イントロダクション

(プレゼンターのティムダンカンへ)本当はやりたくないんだろうけど、スポットライトを浴びるのが好きなのは知っているよ(笑)

オッケー。素晴らしいHOFの紹介ビデオだった。

ここまでは長い道のりだった。

僕のような選手にとって、個人の功績はチーム全体の栄誉なんだ。

僕が特別な存在だからここにいるんじゃない。

僕がここにいるのは、スパーズという2000年代で最も重要な2チームの一員だからた。

4つのNBAチャンピオンシップを獲得した。

僕のアルゼンチン代表チームが04年に金メダルを獲得し、ボローニャのユーロリーグ1ではメッシーナコーチと一緒に戦ったからなんだ。僕がここにいる理由はわかってもらえたと思う。

マヌ・ジノビリ

生い立ちについて

僕はそれほど成功したとは言えないが、私にとってここにたどり着くための基本的な足がかりとなったチームについても言及し、話をしたいと思う。

僕は6、7歳のとき、自宅から1ブロック離れたバイアブランカの小さなクラブチームで、すべてが始まったんだ。父はそのチームの会長だった。

父は創設者の一人で、いつもそこにいた。仕事がなければ、クラブにいた。私の2人の兄もそこでプレーしていたし、兄たちもいつもそこにいた。

母はコーチだった……いや、コーチじゃなかった……冗談だよ(笑)

母はバスケができなかったし、バスケのことも何も知らなかった。でも、お昼に学校に迎えに来てくれて、ご飯を食べさせてくれて、送迎を手伝ってくれて、一日中、夕食までずっと遊ばせてくれたんだ。ドリブルして、シュートして、ドリブルして、シュートして、1日に6時間も7時間も友だちとバスケをしてたんだ。

とても健全で身近な環境の中で、ゲームに対する情熱と愛を育み、強化するには理想的な場所だった。だから、私の人生の一部を担ってくれたすべての人に感謝している。

そこから18歳までプレーして、18歳でプロになったんだ。まあ、それほど特別なことではなかったんだけど、ここにいるコーチが私をプロになるか声かけてくれたんだ。僕は「もちろん行きます!」と答えた。

最初はアンディーノで、それから地元に戻ってエストゥディアンテスでプレーしたんだけど、アルゼンチンのバスケットボールの最高の舞台で家族や友達の前でプレーするのは、最高に楽しかったし、その1分1分が好きだったね。弟と一緒にプレーすることもできたし、パスを僕によく回してくれたんだ。

これまでの日々はとても楽しかった。アルゼンチンでの体験に関わったすべての人、コーチ、選手、本当にありがとう。

マヌ・ジノビリ

ヨーロッパでの経験について

そして徐々に成長していく中で、ナショナルチームの一員となる最初の声がかかった。

ヴィオラ・レッジョ・カラブリアでは、厳しい状況でも私を信頼してくれるコーチがいたし、偉大なベテランの指導者が指導してくれ、ヨーロッパのバスケットボール界における素晴らしい第一歩となった。

その後、ヴィルトゥス・ボローニャに移籍し、エットーレ・メッシーナのコーチを受け、勝利とチャンピオンシップを獲得するために必要なことを教えてもらったんだ。

NBAは手の届かない夢から、彼の下でプレーした後は現実的な目標に変わったんだ。

素晴らしいチームメイトに恵まれて、ユーロリーグで優勝することができた。

イタリアの経験はとても貴重で、そこで僕はNBAの選手としてだけでなく、人間としても成長することができた。

だから、僕のイタリアでの経験の一部となったすべての人に感謝している。

マヌ・ジノビリ

サンアントニオ・スパーズに指名されるまで

僕はまだレッジョ・カラブリア(イタリア)にいて代表チームでプレーしていたら、サンアントニオ・スパーズから57位(指名)で選ばれたと電話がかかってきたんだ。

文字通り信じられなかったんだ。正直間違いだと思った。

期待ゼロ!ゼロだったよ!

スパーズとは一度も会話したことがなかった。代理人も僕がドラフト指名されるかもしれないとは言わなかった。

派手なスーツも、帽子も、記者会見も、何もなかった。何も分からなかったんだ。

サンアントニオがどんなところかも知らなかった。ゼロだ。

でもそのあとは大体わかっているよね。

スパーズは僕にとって16年間、一つの大きな強い支えとなる家族だったんだ。


16年間、同じ監督のもと、ほとんど同じ選手で、同じ色、同じ街の代表としてプレーしてきた。多くの勝ち負け、多くの友人、多くの素晴らしい経験…それを支えてきたたくさんの人に感謝している。

もちろん、今日ここに招待された人たちもそうだよ。

ポップ、何と言えばいいんだろう?今回は手短に言うよ。

コートの中でも外でも、僕と僕の家族にとってとてもとても大切な存在で、いくら感謝してもしきれないよ。

マヌ・ジノビリ

BIG3、多くのチームメイトについて

(ティム・ダンカンについて)

僕の隣にいるのは、このゲームをプレイする上で最高の選手の一人であり、同時に最も重要な存在、最高のチームメイトの一人だ。僕は君から多くのことを学んだよ。リーダーとしてのあり方、コート上でもコート外でも模範となるべきことをね。

(トニー・パーカーについて)

TP、僕たちは優先順位をきちんとつけていた。決してエゴに邪魔されることはなかった。

我々は、いつが君の時間か、いつが僕の時間か、いつがティミーの時間かを知っていた。まぁほとんどの場合はティミーだったけど(笑)。でも僕らはそれをやり遂げ、仕事をやり遂げた。


この3人がたくさんの勝利、オールスター、MVP、史上最高のコーチ、何でも手に入れることができるのは、君たちも知っているだろう。

でも、優勝して本当のチームになるには、他の小さなピースがたくさん必要なんだ。

そして、私たちにはそのピースがたくさんあった。

繰り返すよ、たくさんあったんだ。

そのメンバーたちを紹介したい。

ブルース・ボーウェン…君は僕の仕事を容易にしてくれた。君は皆を守ってくれた、私も含めて皆をね。ありがとう。

マット・ボナー…どこにいても忘れないよ。君は素晴らしいチームメイトだった。

皆との楽しい時間がたくさんあった。パティ、ティアゴ(スプリッター)、ボボ(ディアウ)、君たちのおかげで楽しい旅ができたんだ。愛してるよ。

僕のポジションでは偉大なベテランがたくさんいた。彼らから多くを学んだし、どこにいても一緒にプレーできて楽しかった。そこにいるファブリ..(オベルト)もだ。僕の理想のチームメイトだ。

100人の名前を挙げればきりがないほどなんだ。

なぜなら、私にはたくさんの仲間がいた。

みんなに感謝しているし、これは本当の気持ちなんだ。私はみんなとチームで過ごすのが大好きでとても楽しかった。

試合の準備をし、夕食に行き、共に勝ち、共に負けた。素晴らしいことだった。

感謝しているよ。

マヌ・ジノビリ

スパーズの組織について

スパーズの組織について語るとき、選手の名前だけを挙げてはいけない。

組織はそれ以上のものだ。

それは文化に適合する優秀な人材を見つける能力だ。

トム・ジェームス、ウィル・セブンニング、アリシア・ロドリゲス、この組織で25 年間働いてきた素晴らしい人たちだ。

アシスタント コーチ、ビデオ コーディネーター、トレーナー、フィジオ、機器マネージャー、GM、RC など、どこにいてもあなたは重要です。 ありがとう.。

僕を選んでくれてありがとう。

僕を連れてきてくれてありがとう。

僕をキープしてくれてありがとう。

全員に感謝したい。

マヌ・ジノビリ

アルゼンチン代表について

僕のキャリアについてのクレイジーなことは、このすべてがスパーズで起こっていた間、16年、同時に私は別のキャリアを持っていたことだ。

それはスパーズでのものと同様に充実した刺激と楽しさを育て、それは私の代表チームアルゼンチンだ。

そこに招待している皆だ。

君たちひとりひとりのことを話し始めると、長い間、止まらなくなってしまうかもしれないね。

僕がこだわるのは、私たちが常にやってきたことは、チームとしてやっていくことだ。

それ以上に大切なことはない。

一緒に走り続けてきたことにとても感謝しているし、もちろんチャンピオンシップもだけど、失意もまた、僕たちの絆を深めてくれた。

会話も、ひどい旅行も、遅い夕食も、早い朝食も、時差ボケも…それはとても価値のあるものだった。

本当に…みんな…愛してるよ。

これこそ友情、これこそ兄弟愛だ。素晴らしいことだと思う。

コートの外でも、みんなと一緒に冒険するのが楽しみだよ。

マヌ・ジノビリ

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NBAについて

また、私たちが好きなことをするために、この特別な舞台を与えてくれたNBAに感謝したい。

デビッド・スターン、アダム・シルバー、そして素晴らしいチーム。世界最高のスポーツリーグだ。

私がこれまでプレーしたすべての場所で、絶え間ないサポート、愛情、そして限りない情熱を注いでくれたファンの皆さんに感謝したい。

私は日々、皆さんの愛を感じていました。

ありがとうございました。

マヌ・ジノビリ

家族について

ジノビリはスピーチの終盤に、「1分間だけ、スペイン語で家族に挨拶させてほしい。ここで少し感情的になるかもしれないが、我慢していてほしい」と述べました。

ジノビリは妻のマリアネーラ・オローニョに感謝するとき、感情的になりました。

最初のファンである父ホルヘには、「とても会いたかった」と感謝し、声を詰まらせました。

そして母親には、彼女が払った犠牲に対して感謝の意を表しました。

そして英語に戻り、ダンテ、ニコラ、ルカの3人の息子たちへ、心からのメッセージを伝えました。

このスピーチを聞いた通り、僕のキャリアにはいろいろなことが起こるんだ。

もし時間を止めて、永遠に楽しめる瞬間を選ぶとしたら、

今、君たちと一緒に、僕らの時間、旅行、権利、夜、僕らのすべてを楽しむことだ。

僕は僕たちが存在することを愛し、達成したことを愛している。

僕はあなたたちをとても愛している。

マヌ・ジノビリ

エンディング

私が最後の一人だと思うので、ホールの皆さん、2022年クラスの皆さん、ありがとうございました。

嬉しかったよ。

みんな、ここにいてくれてありがとう、

これからも一緒に冒険するのが楽しみだ。

マヌ・ジノビリ

本当におめでとうございます。

引用元:KENS5

引用画像:San Antonio Spurs Photo Galleries

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