NBAドラフト2019が先日行われ、スパーズは1巡目19位でLuka Samanicを指名しました。
指名前からGMのRC Buford自身が4月から頻繁にスロベニアに行き、動向をチェックをしていました。
Samanicの出身地はクロアチアです。
スパーズは以前からドラフトで国際的な選手を指名することが多く、スカウトも世界中を回っています。
Bruno Passos 氏の記事で、スパーズとヨーロッパのクラブチームとの関係性について、とても興味深い内容の記事がありましたので紹介します。
Luka SamanicとPetrol Olimpija
Samanicの経歴としては2016年にFCバルセロナとアマチュアリーグでプロデビューしました。
彼は早くから注目を集めて(フロリダ、ゴンザガとパデュー含む)のアメリカのディビジョンIの大学から勧誘を受けましたが、彼は最終的にヨーロッパに残ることを選びました。
2017 – 18年にFCバルセロナB(リザーブチーム)でプレーし、2018 – 19年のスロベニアリーグのPetrol Olimpijaに加入しました。
Samanicが所属していたチームのKK Petrol Olimpijaは、スパーズと過去8年間とても深い関係であるようです。
KK Petrol Olimpijaは首都リュブリャナを拠点とするスロベニアのクラブです。
彼らはアドリア海リーグやユーロリーグのような多くの国のチームと争う大会でゲームをすることに加えて、スロベニアのトップリーグでプレーしています。
現在および以前の多くのスパーズのプレイヤーが所属していました。
スパーズはヨーロッパのチームの試合に焦点を当てていることを考えると、偶然かもしれませんが、この中央ヨーロッパのクラブが最近のSpursの歴史の中でどれほどの役割を果たしてきたかわかります。
Danny Greenは、San Antonio Spurs、下部リーグのAustin Toros、Reno Bighornsの間を行き来していた2011年のロックアウトのシーズン前にOlimpijaとの1年契約にサインしました。
そして彼はSpursに戻り、長い間のスターターとしての多大な貢献をしました。
バリバリプレーしています。
Davis Bertansは、2011年にIndianaからドラフト権がトレードされた時はヨーロッパに残りOlimpijaでプレーしました。
後に2016年にやってくる前にセルビアのパルチザンとスペインのバスコニアでプレーしました。
Olimpijaに所属していた時の写真です。若い!
Aaron Baynesは2012年~2013年にかけてOlimpijaにいました。
Rasho Nestorovicやドラフトで指名したGoran Dragicは長年にわたってOlimpijaチームの主要プレイヤーでした。
スパーズのフロントは世界中でプレイヤーとの関係を築いて、選手を獲得するのに役立つような大きな関係を持っていますが、スロベニアのクラブで育成した選手たちは確かに大きな恩恵をもたらしました。
これが、SamanicがNBAでの生活が始まっても、後に続くことを願っています。
サマーリーグが待ち遠しいですね。
時間がある方は…
Samanicのユーロ時代の試合がありますので、予習するとさらに楽しめそうです。
予習してだいぶ印象が変わりました。
ボールプッシュができて切り替えが早いです。IQの高さが垣間見えます。
211㎝とは思えないハンドリングです。
確かにスパーズが指導が難しいと判断した、生まれ持った才能を感じました。
Samanicは#9です。
Petrol Olimpija v Besiktas Sompo Japan – Full Game – Basketball Champions League 2018-19
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