マヌ・ジノビリが2022年バスケ殿堂入りに正式決定!

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サンアントニオスパーズのレジェンド、マヌ・ジノビリは、殿堂入りの資格を取得して1年目で正式にネイスミスバスケットボール殿堂入りを果たしました。

ジノビリはサンアントニオ・スパーズで4つのタイトルを獲得し、2004年のオリンピックでアルゼンチンを衝撃の金メダルに導き、ユーロステップでバスケットボールに革命を起こし、シックスマンの役割の認識を変えた象徴的なガードです。

ちなみにユーロステップと命名したのは現在ウォリアーズのヘッドコーチであるスティーブカーです。

ジノビリは4月2日の午後、彼の背番号が掲げられているAT&Tセンターで、これまでのバスケットボール人生を振り返りました。

ジノビリは、自分が殿堂入りすることが決まった瞬間は、とても特別なものだったと言っています。

バスケットボールを始めた人の多くはきっかけは好きだから、楽しいから、友達と一緒だからということが多いだろうね。

だけど私の場合はほとんど家族の命令だったからね。

私はクラブに通い、プレーし、それを愛し、語り合い、そして続けてきた。

自分のキャリアが終わったら、もう驚くようなことはないだろうと思っていたときに、このような評価を受けると、少し時間をさかのぼって自分のストーリーを振り返ると、信じられないような気持ちになるね。

マヌ・ジノビリ

信じられないストーリーを歩んできた

そのストーリーの中で、彼にとって最も特別なものは何かというと、ひとつを選ぶのは難しいと語りました。

比べようがないね。

印象深いのは仲間とともに金メダルを獲得し、国を代表したことかな。

もしあなたがレブロン・ジェームズなら、あるいはアメリカの偉大な選手の一人なら、アメリカではそうなることを望むことができるかもしれないけどね。

もしアルゼンチン人なら、そうではなく、ただオリンピックに出場したいと思うよね。

私たちが金メダルを手にする機会を得たことは、全く比較できないほどのものだよ。

でも同時にスパーズで4つのリングを獲得したことは、信じられないことだ。

でも、僕たちはただ優勝できただけでなく、一貫してそれを成し遂げ、しかも中心的な選手たちがずっと一緒にいてくれたという幸運に恵まれている。

だから、その両方が素晴らしい。

そして、その瞬間を思い出すとこのような機会があったことに驚かされるんだ。

マヌ・ジノビリ

NBAで2つの印象深い出来事

ジノビリは、彼にとって最も意味のある2つのチャンピオンシップ、つまり彼の全盛期を支えたチャンピオンシップを挙げました。

1つ目は2014年かな。

2013年にファイナルで敗れた後、もう二度とないだろうと思っていたかもしれない。

とても傷ついたし、打ちのめされたよ。

ほとんど同じチームで戻ってきたことで、同じチームと対戦する機会を得て、自分たちを取り戻し、美しいプレーをすることができた。

だから、あれは特別なものだったんだ。

私たちには本当に必要なことだったんだ。

私たちは傷ついていたんだけど、喜びだけでなく、癒しになって痛みや辛さを和らげてくれた。

2つ目はデトロイトとのNBAファイナルかな。

タフな優勝候補でシリーズ第7戦に進出し、大きなプレッシャーを感じたことだね。

でもあのシーズンは、自分の居場所がある、うまくやれる、内面が変わってきたと実感できた年だったね。

ルーキー・シーズンや2年目の不安な状況から、「いける」と思うようになった。

そして自信を持ち、まっすぐ歩き、みんなの目を見て、よそ者であることを感じないようになった。

以前はよそ者だったからね。

だから、この2つの瞬間が一番印象に残っているんだ。

マヌ・ジノビリ

ワイルドなプレースタイルと競争心で知られるジノビリは、1999年のドラフト57位から殿堂入りを果たし、2度のNBAオールスターと2度のオールNBAに選出されました。

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現在はアドバイザーとしてスパーズの若手をサポート

現在、スパーズの選手育成を手伝っているジノビリは、チームでの目立たないスタートが、若いスパーズに “負け犬の物語 “を語らせることになったと語りました。

最初の2年間はちょっと大変だったね。

ポポビッチのようなコーチがいて、彼のゲームで重要なチームのプレーの仕方をしなければならないことに適応するのは簡単ではなかったんだ。

2年か1年半くらいで、自分がゲームにもたらすものが評価されていると感じられるようになったと思うんだけど、最初のうちはかなりきつかったね。

でもその後、お互いに相手を尊重するようになり、相手の真の使命や目標、私がなぜそのようなプレーをするのか、彼がなぜ私をそのように指導するのかを理解し、妥協するようになり、そして素晴らしい関係になったというのは、みんなも見ての通りだよ。

そうそうレッドカーペットのように、16年間のラブストーリーになると皆が思っていたわけではないんだ。

だから、そういう背景があったからこそ、若い人たちに違うストーリーを伝えることができたんだと思う。

ゼロからスタートする負け犬の物語、そして、みんなの信頼と尊敬を勝ち取らなければならない物語。

だから、そういう話をしていきたいんだ。

マヌ・ジノビリ

ジノビリ、ティム・ダンカン、トニー・パーカーのビッグスリーは、NBA史上どのトリオよりも多くの勝利を収めており、彼はサンアントニオのビューティフル・ゲーム時代を支えた存在です。

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ジノビリのキャリアはファイナルでのクリス・ボッシュへのポスタライズダンク、プレーオフでのジェームズ・ハーデンの背後からのブロック、その間のビッグショットやノールックパス、コウモリを叩き落とすなど、象徴的な瞬間でいっぱいです。

NBA史上でジノビリより多くのプレーオフゲームに出場した選手は7人だけであり、リーグ史上25番目のプレーオフ得点記録を持っています。

スパーズは、彼が出場した40シリーズのうち29シリーズで勝利しました。

ジノビリはレギュラーシーズン14,043得点、4,001アシスト、1,495本の3Pを記録し引退した。

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現在は自由な時間を楽しんでいる。

現在スパーズの練習場にいないときは、子供を学校に送ったり、サンアントニオの奥さんや友人と食事を共にしたり、家族とアルゼンチンで過ごしたりしているそうです。

以前はできなかったことができるようになったよ。

しょっちゅう2日間の修学旅行をしている気分さ。

オースティンでミーティングがあるんでしょ?よし、行こう。

次はロサンゼルス?といった感じでね。フレキシブルに対応できるよ。

12月1月、私にとってのベストシーズンはアルゼンチンだからよく行っているよ!

その他にも子供たちを学校に行かせ、家で勉強させ、何とかしなければならないが、時間をたくさん買うことができた。

時間を手に入れることで自分のやりたいこと、好奇心の探求、そして基本的に制限のないことを本当に楽しんでいるんだ。

マヌ・ジノビリ

ちなみに殿堂入りセレモニーのプレゼンターはティムダンカンとデビッドロビンソンが務めるそうです。

2020年にはティムダンカンが殿堂入りしました。

スパーズの選手の殿堂入りが続いており非常に嬉しいです。

セレモニーを楽しみにしています。

本当におめでとうございます。

引用元:KENS5

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