サンアントニオスパーズのセンター、ドリューユーバンクスはスパーズに加入して3年目になります。
最近2Way契約から3年5.3Mの契約にサインしました。
体を張ったエネルギッシュなプレーと ベンチを盛り上げる明るい性格でスパーズファンからも非常に人気があります。
本契約を勝ち取ったユーバンクスですが、非常に珍しい経歴の持ち主です。
MLBを目指していたユーバンクス
高校生までは大リーガーを目指していました。
MLBのスカウトにも目に留まるピッチャーでした。
ユーバンクスは6-5の野球選手であり、最速160km近い速球を投げることができ、すでにスカウトの注目を集めていました。
当時オレゴン州のレイノルズ高校のバスケットボールのコーチだったジョン・ポエッチは16歳のユーバンクスにバスケットボールをするように説得しようとしてもう7年が経ちました。
ユーバンクスは高校1年生までバスケットボールをプレーことも、見たこともありませんでした。
当時ユーバンクスは次のように語りました。
私は野球だけをして育った。他のスポーツをしたくなかった。 ピッチャーはあまり走らなくてなくてもいいから好きだった。
バスケットボールは好きではなかった。私は大リーグで投手になるだろうと思っていた。
レイノルズ高校のバスケットボールのポエッチコーチはそうではないと考えました。
ポエッチはホールを歩き回っている荒々しい10代の若者を一目見て、NBAの可能性を見ました。
ユーバンクスはとりあえず野球と並行して軽い気持ちでバスケットボール部にも入部しました。
入部したユーバンクスは新入生のチームで出場して平均4ポイントを獲得しました。
チームの他の人の両親はなぜユーバンクスがそんなにプレーしてるのか疑問に思うようになりました。
ポエッチは、
彼は乱暴だった(笑)しかし、彼はやるべきことがたくさんあるように見えた。
またポエッチがユーバンクスについて気付いたもう一つのことは、彼には新しいスキルをすばやく習得するアスリートの能力があったということです。
彼はダンクをやりたいとさえ思う前にダンクしていた。彼はこれまでバスケットボールを見たことがなかった。驚いた。
センスがありバスケットボール選手に必要なものをすべて持っていると感じたよ。
後はどうやってユーバンクスにバスケットボールに興味を持たせようか必死になって考えた。
右利きのランディ・ジョンソン
ユーバンクスが身長が更に伸びて6-10に成長した後、バスケットボール選手に向いていることはさらに明白でした。
それでも高校の途中でユーバンクスが選んだスポーツは野球のままでした。
それはユーバンクスの父、デイビットの意向でもありました。
ユーバンクスは平均150㌔前後の速球が武器のエースピッチャーでした。
右利きのランディ・ジョンソンのように、ユーバンクスの高さは野球でも武器になっていました。
レイノルズの野球コーチであるカイル・スウォボダは言いました。
彼は驚異的だった。マウンドにいるときはみんなリラックスできた。 プレートの周りをを少しだけ守るだけで良かった
ユーバンクスは最終学年のシーズンで防御率1.75で8-4に進み、レイノルズ高校は州大会のプレーオフに進出しました。
そこでユーバンクスの野球への気持ちが揺らぐ出来事がありました。
ユーバンクスは高校でのキャリアの中で唯一の本塁打を打たれました。
撃たれた相手はボルチモア・オリオールズによる2019メジャーリーグベースボールドラフトで総合1位になったアドリー・ラストマンでした 。
ユーバンクスは。
何が起こっているのかわからなかった。 これまで誰も私から本塁打を打ったことはなかった。
それでもユーバンクスは高校の最終学年に達するまでに、 野球の有名大学とプロのスカウトは注目し始めていました。
ユーバンクスが登板したすべての試合には、ディビジョンI(大学の一部リーグ)スカウトとプロスカウトがいました。
バスケットボールと野球の二刀流
2013年の秋ユーバンクスはレイノルズ高校で3年生になりました。
ポエッチは野球で優秀な成績を残しているユーバンクスをバスケットボール選手にすることを諦めませんでした。
スターピッチャーであるユーバンクスがバスケットボールに専念できれば、何か特別なことになるのではないかと考えました。
ポエッチコーチはユーバンクスの父親に、息子はNCAAディビジョンIの素材であり、うまくいけばプロとしてプレーできると思ったと語った。
ユーバンクスは、
私の父はポエッチコーチはちょっとクレイジーじゃないか?と言ってたよ。
新入生としてバスケットボールを始めてから2シーズンの間、ユーバンクスはシューティングファウルとそれ以外のファウルの違いを理解することすらできませんでした。
ファウルを受けた後にフリースローをうつこともあれば、打たないこともある理由がわからなかったよ。
その後ターニングポイントがありました 。
ユーバンクスの3年生が始まる前の夏のラスベガスへの旅行でした。
レイノルズ高校のバスケットボールチームはは大学のトップ指名候補をフィーチャーした厳選されたAAUチームとのトーナメントに参加しました。
チームにとっては相手は格上でしたが、ユーバンクスはチームの主力になっていました。
その後間もなくユーバンクスはNCAA の大学の関心を集め始めました。
最初はフェニックスのグランドキャニオン大学から来ました。
ユーバンクスは、
くそー、みんな野球よりもルールも大して知らないバスケットボールに興味を持っているな…と複雑だったよ。
とりあえずバスケットボールにもっと注意を向けてみるかと考え始めたよ。
ユーバンクスのナイキ主催の4か月のトレーニングキャンプに参加したユーバンクスは、バスケットボールのキャリアをさらに急成長させました。
オレゴン大学進学へ
ユーバンクスが2015年にレイノルズ高校を卒業するまでに、バスケットボールをするためにいくつかのPac-12学校に推薦されていました。
そこでユーバンクスはオレゴン州立大学を選びました。
その理由の1つは野球のプログラムにも参加する機会があったことです。
とにかくそれが計画でした。
オレゴン州立大学でのユーバンクスのルーキーシーズンに、バスケットボールチームは26年ぶりにNCAAトーナメントに出場しました。
NCAA シーズンが終わったとき、ユーバンクスは生まれて初めて野球をすることに熱心ではなありませんでした。ください。
ピッチャー を続けるための精神的な準備をしようとしていたけど、努力をすることができなかった、とても疲れていた。
そして、ユーバンクスは野球の道を諦めました。
レジェンドとの出会い
数年後ユーバンクスがオレゴン州にいたとき、バスケットボールチームは募金活動の夕食会を開催しました。
ゲイリー・ペイトンジュニアは当時のチームのメンバーでした。
夕食が終わると父親のデイブ・ユーバンクスは隅にいる明らかに有名な男性について尋ね、サインをお願いして写真を撮りました。
それはペイトンの父、 殿堂入りプレイヤーのゲイリー・ペイトンでした。
ペイトンからユーバンクスの才能はNBAに通用するとお墨付きをもらいました。
それが私たちのバスケットボールを本気で目指すようになった、とユーバンクスは振り返りました。
NBAドラフト候補に成長
バスケットボールに完全に専念したユーバンクスはさらに実力を発揮し始めました。
オレゴン州立大学の3年生として、ユーバンクスは平均13.2ポイント、6.8リバウンド、1.7ブロックでした。
ユーバンクスはシーズンの終わりにNBAドラフトを宣言しました。
思わぬアクシデントに…
学校を卒業してから2か月後、ユーバンクスはNBAチームとのドラフト前のワークアウトのためにサンアントニオにいました。
それは病院への旅行で終わりました。
セッションの数分後、ユーバンクスはリバウンドドリル中に相手のビッグマンに手を叩かれました。
30分後ワークアウトの最初の休憩を取りました。
ユーバンクスは左手を見下ろした。
私は無心でワークアウトをプレイし続けていたあと休憩時間に入った。ふと左手を見ると親指が横方向を向いてた。 休憩するまで気づかなかった。 それでもプレイし続けてしまったけどね。
ユーバンクスその後病院に連れて行かれました。右手親指の靭帯断裂と診断されました 。
おそらく手術が必要であると判断されました。
NBAドラフトのために一年早く 大学を卒業して望んだワークアウトだったのに、最初のプレイで怪我をしてしまった。俺は何をしているんだろうと自問自答したよ。
幸いロサンゼルスの医師からのセカンドオピニオンは、靭帯が部分的にしか裂けておらず、手術を必要とせず、負傷した親指にブレースを付けてトレーニングに戻ることができました。
ユーバンクスは数週間後、スパーズとの2回目のトレーニングのために戻ってきました。
ユーバンクスはスパーズのレーダーに留まるのに十分なパフォーマンスを発揮しました。
ドラフトでは指名されず…
しかし2017年のドラフトではスパーズは2巡目でチメジー・メトゥを指名しました。
ドラフトで指名されなかったユーバンクスは落ち込みましたが、スパーズは見捨てませんでした。
スパーズはユーバンクスと2wayの契約にサインしました。
そこでユーバンクスは限られた給料と出場機会の中で必死にプレーをし続けました。
NBA契約を望んでいたが、自分自身で現実的にしようとした。 NBA のプレイヤーとプレーができる自信があった。競争できることを知っていました。 チャンスが必要だっただけだよ。
ついに努力が報われる!
スパーズに所属して2年目の夏オーランドバブルで出場機会を手にしたユーバンクスは輝きました。
ユーバンクスはベンチから出て、20分近くで平均7.7ポイントと7.1リバウンドを記録しました。
ユーバンクスはエネルギーとブルーカラーの泥臭いプレーでコーチのグレッグ・ポポビッチに感銘を与えました。
ポポヴィッチは、
ユーバンクスはボールを持って頼りになる男になってもらうつもりはない。3Pを撃てない。
何が残っている? ピックをセットしたほうがいい、 フロアを走り回ったほうがいい。 「D」をプレイしたほうがいい。リバウンドしたほうがいい。 ユーバンクスは自分の役割を知っており、それで素晴らしい仕事をしている
オーランドでのユーバンクスの仕事は、スパーズの未来の一部として彼を固めるのに十分でした。
スパーズはユーバンクスとの本契約に合意し、メトゥも正式にリリースしました。
これは2018年のドラフト以降、ユーバンクスの株がどれほど急速に上昇したかを証明するものでした。
これ(契約)を獲得したので、一貫したプレー時間を確保したい。 NBA との正式な契約が結べたらスターターになりたい。 現状に満足はしたくない。
自分の居場所を掴む
ユーバンクスは複数年のNBA契約にサインしたので、ユーバンクスはサンアントニオに根を下ろすことを目指して、最近サンアントニオ周辺で家探しをしました。
スパーズとオースティンのGリーグの間を行き来する最初の2シーズンの間、ユーバンクスは地元の遊牧民のように暮らしました。
ユーバンクスは最初のNBAトレーニングキャンプ中の1か月を含む、5つの異なる住所を持っていました。
楽しみにしていることの1つは一貫した場所にいること、とユーバンクスは述べています。
ユーバンクスの仕事についても同じことが言えます。 2wayの契約から解放され、本格的なNBAプレーヤーです。
ユーバンクスの高校バスケットボールのポエッチコーチは、
バスケットボールを始めてから7年。1つの物事集中して、働き続けることについてはかなり信じられない話です。そして少しの運を持っている。これからも彼の旅をみていきたい。それで十分。 時々私にチケットを渡したいのなら受け取るよ。
これからも成長に期待します。
引用元:expressnews
引用画像:San Antonio Spurs Photo Galleries
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