90年代半ばにダラス・マーベリックスの主力選手として活躍していたマイケル・フィンリーは、2005年にサンアントニオ・スパーズに移籍して初めてNBAチャンピオンの栄光を手にしました。
2005年の夏にフィンリーはダラスで9シーズンを過ごし、2度のオールスター出場を果たした後、新天地を求めて移籍を志願しました。
マイアミ・ヒートやフェニックス・サンズからより高額なオファーを受けましたが、最終的に当時タイトル獲得に1番近かったディフェンディング・チャンピオンのスパーズを選択しました。
タイトルを獲得するために2年待ちましたが、2007年のNBAファイナルでサンアントニオがクリーブランド・キャバリアーズを破り、フランチャイズ4度目のタイトルを獲得しました。
彼はその願いを叶えました。
先日フィンリーはクエンティン・リチャードソンとダリウス・マイルズと共にナックルヘッズのポッドキャストに出演しました。
そこで彼のNBAキャリアについて話しました。
このエピソードの最後には、フィンリーがスパーズでの活動について話しています。
スパーズ私が今まで所属したチームでチャンピオンシップに最も近いチームだった。
このチームが再び優勝するのを助けるという挑戦を楽しみにしていたんだ。
まず第一に、ポップは信じられない人だよ。コーチとしてだけでなく、人間としてもね。
みんなは知っていると思うけど、(ライバルチームの)ダラスからサンアントニオへの移籍はシームレスではなかったんだよ。
マイケル・フィンリー
フィンリーはスパーズのライバルチームであるマーベリックスで10年近くプレーしていたため、突然味方になったことがいかに不思議であったかを語っています。
最初にサンアントニオに行った時、ポップは僕がライバルチームから移籍したから難しい立場だと知っていた。
この状況でポップから最初にかけられた言葉が今でも記憶に残っているよ。当時は新しいチームメイトになったけれど頭の中ではまだ敵チームだったから、 練習でもそういう気持ちで臨んでいたんだ。
練習中にドライブしたチームメイトにハードファールをしたんだ。
その時ポップがタイムアウトを取って言ったんだんだ。「おい!フィン、お前は俺たちの仲間だぞ!」とね。
これは彼が僕に言った最高の言葉のひとつだ。
そう言われた瞬間、「かっこいい!」と思ったね。
だからそのあとは溶け込もうとしたんだ。
マイケル・フィンリー
フィンリーはポポビッチがスリーポイントを打つ許可を出したこと、オフコートの問題にどれだけ熱心に関与していたか、などについて話しました。
詳細はは YouTubeを確認してみてください。
引用元:Air Alamo
引用画像:San Antonio Spurs Photo Galleries
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